
昨日は暖かく晴れ渡り、桜も見ごろの絶好のお花見日和でした。
そのせいか桜のあるところはすでに大勢のお花見客でいっぱい。
桜を求めて彷徨ううちに、ありました。
見事に咲き誇る、立派な枝振りの満開の桜。
しかも誰もいないなんて、なんという幸運。
小さいけれど立派な神社の境内へと続く門の石柱を包むように広がった枝は手を伸ばせば届くほど。
折りしも、真向かいの音楽教室ではちょうどレッスンの時間だったようで、一音一音確かめながら弾いているたどたどしいピアノの音がかえって興を誘い、この世ならぬ美しい世界へ誘われるようでした。

以前はあまり好きではなかった春がだんだんと好きになり、今年は愛おしいまでになるとは、
こころ一つでこんなにも景色は違って見えるものなのですね。
桜という樹は不思議なものだと思います。
人々の希望と喜びを一身に浴びて生まれ出で、花を咲かせ、散っていく...
短い生の、終焉に向かってこその優美さは人の一生にも似て儚くも美しい歓びの樹。
古くから桜を愛することを知る日本人は、やはり優れて繊細な感覚を持っていると思います。
疾く過ぎゆくは春の日。
『花に嵐の譬えもあるぞ さよならだけが人生だ』(井伏鱒二)
『さよならだけが人生ならば 人生なんていりません』(寺山修司)
『花を踏んでは同じく惜しむ少年の春』(白居易)

帰り道、去年の春から見つけていた桜のトンネルを通って帰りました。
今を盛りと咲くこの花も明日には散っていくのでしょう。
そうと知りつつも、いってしまうなと願うのが人情。
疾く過ぎゆくな、少年の春。
悔いなく人生を生きたいものです。